5.欧米史(参考2.アメリカ史)
3.ラテンアメリカ時代毎に内容を確認していこう。
(1)古代文明(文明・国を赤で表記)
a.メソアメリカ文明(メキシコ・中央アメリカ)
・オルメカ文明、テオチワカン文明、トルテカ文明
・マヤ文明(6世紀〜、ユカタン半島)
20進法、太陽暦、スペインが征服、絵文字
・アステカ文明(14世紀、メキシコ)
都:テノチティトラン、神権政治、太陽暦、
絵文字、コルテスが征服
b.ペルー
・インカ帝国(15世紀)
都:クスコ、キープ(文字なし)、石造建築、
王=太陽の化身、ピサロ征服(1533)
c.共通する特徴
焼畑or灌厩農業→トウモロコシが主食
鉄器、大型家畜・車輪なし
d.ラテンアメリカ原産の作物
トウモロコシ・トマト・ジャガイモ・サツマイモ・タバコ・カカオアメリカに人類が住み始めたのは今から3〜2万年前で、ベーリング海を渡り、アメリカ大陸に広がり、原住民のことを北米ではインディアン(現在はネイティブアメリカン)、ラテンアメリカではインディオと呼びました。
メキシコやユカタン半島などの中央アメリカでは、前10世紀にオルメカ文明、前2世紀にティオティワカン文明、6〜10世紀にトルテカ文明が栄え、6〜14世紀までユカタン半島にマヤ文明は栄えて、占星による神権政治がおこなわれ、ピラミッド状の神殿が作られ、正確な太陽暦が作られ、20進法など数学も発達して、象形文字も使われていました。
15世紀にはテノチティトランを首都とするアステカ帝国が成立し、そこでは神官階級による神政がおこなわれ、神殿やピラミッドを作り、太陽暦、象形文字を使っていました。
南アメリカのアンデス地域では15世紀にインカ帝国が建設され、首都はクスコに置かれ、高度な石造建築物が作られて、太陽神が信仰されて王は太陽の化身とされ、数量の記録には文字の代わりにキープが用いられていました。
ラテンアメリカの諸文明で共通で見られたのは、トウモロコシを主食とし、太陽暦を使用し、鉄器や馬や牛などの大型家畜、車輪などは使われていない点が上げられます。
ラテンアメリカ原産の作物としてトウモロコシ・トマト・ジャガイモ・サツマイモ・タバコ・カカオが有名です。
(2)ヨーロッパによる征服
a.新大陸の発見
・コロンブス:サン=サルバドル島、住民をインディオ
・アメリゴ=ヴェスプッチ:新大陸
・バルボア:パナマ地峡横断、太平洋発見
b.スペインの進出
・コンキスタドレス(征服者)
・コルテス:アステカ征服 (1521)
・ピサロ:インカ征服(1533)
・領土分割:スペインとポルトガルの分割
教皇子午線→トルデシリャス条約
・エンコミエンダ制
キリスト教化を条件に国王は人と土地を委託
インディオを鉱山開発(ポトシ銀山)、農園で酷使
→ラス=カサスの批判、インディオを保護
→インディオ激減→アフリカから黒人奴隷を輸入
・アシエンダ制:大農場経営
c.ポルトガルの進出:カブラル→ブラジルはポルトガル領に
d.ラテンアメリカの社会
・コンキスタドレス:本国生まれの白人
・クリオーリョ:植民地生まれの白人、地主
・メスティーソ:白人とインディオの混血
・ムラート:白人インディオの混血
・インディオ
・黒人アメリカへのヨーロッパの進出はコロンブスが1492年にサン=サルバドル島を発見し(コロンブスはこの地をインドだと信じていたので住民をインディオ(インド人)と呼びました)、アメリゴ=ヴェスプッチの探検で新大陸であることが確認されます。またバルボアがパナマ地峡を横断し太平洋発見しました。
ラテンアメリカの諸文明はスペインの侵略を受けて、アステカはコルテスによって1521年に滅ぼされ金・銀が略奪されます。また、インカ帝国も1533年にピサロによって滅ぼされます。スペインとポルトガルの海外領土の境界は教皇子午線、その後トレデシリャス条約を結んでブラジルはポルトガル、それ以外はスペインの植民地となりました。スペイン植民地ではエンコミエンダ制(注2)がとられ、インディオ達はポトシ銀山など金・銀の採掘やさとうきびなどのプランテーションでの労働に酷使され、ヨーロッパに送られた金・銀は価格革命をひきおこし、アジアの送られた銀は中国国内で秤量貨幣として流通するようになって一条鞭法など税金も銀納で行われるようになりました。酷使されたインディオの状況を目の当たりにした宣教師のラス=カサスはインディオ達の保護を訴えます。その後インディオ達は酷使により人口が激減して労働力不足になり、それを補うために西アフリカからの黒人奴隷によって補われ大西洋をはさんで三角貿易、奴隷貿易が盛んに行われました。また、17世紀から広まったにアシエンダ制(注2)によって白人は大農園の地主として大土地所有が進んでいきます。
ポルトガルはカブラルがアジアへ向かう途中嵐に遭いブラジルに流れ着き、その結果ブラジルがポルトガル領になりました。
ラテンアメリカの国々では白人(コンキスタドレス(本国生まれの白人)とクリオーリョ(植民地生まれの白人、地主層))、インディオやアフリカからつれてきた黒人、ムラット(白人と黒人の混血)、メスティーソ(白人とインディオの混血)と呼ばれる階層が生れました。
(注1):植民者にインディオへの布教を条件に人民と土地の使用を認めた。
(注2):主に奴隷を労働力とする大農園制(プランテーション)。
(3)ラテンアメリカの独立
(独立の動きを赤、対外勢力の動きを青で表記)
a.独立の背景
・アメリカの独立、フランス革命の影響
・クリオーリョが独立運動の中心
b.革命への干渉
ヨーロッパ列強が干渉しょうとする(メッテルニヒ中心)
→米のモンロー宣言:新旧大陸の相互不干渉
英のカニング外交:経済的進出をもくろむ
→ヨーロッパ列強が干渉挫折
c.ハイチ:フランス領
トゥサン=ルーヴェチュールの指導→1804年に独立
d.スペイン領
・シモン=ボリバル
北部から、ペルー、ボリビア、大コロンビア
・サン=マルティン:南部から、チリ、アルゼンチン
e.メキシコ:スペイン領
イダルゴの独立運動
→独 立
→独裁政権:アメリカ・メキシコ戦争など北部の領土喪失
→自由主義革命:ファレスが独裁政権打倒
→内戦(自由主義VS保守派)
・ナポレオン3世のメキシコ出兵→失敗
→ディアスの独裁(1876〜1911)
f.ブラジル:ポルトガル領
ブラジル帝国(1822):ポルトガルの王子が独立宣言
→ブラジル共和国(1889):革命で共和国にアメリカ合衆国の独立、フランス革命、ナポレオンのスペイン征服などを契機にラテンアメリカで独立運動が始まり、独立運動に対し、オーストリア宰相のメッテルニヒはこれに干渉しようとしましたが、アメリカ大統領モンローはモンロー宣言を発して、アメリカ大陸とヨーロッパの相互不干渉をとなえ、イギリスの外相カニングは中南米のへの経済的進出を狙って独立を支援したことからヨーロッパの干渉は失敗に終わりました。
仏領ハイチではトゥサン=ルーヴェチュール(独立前に処刑)を指導者に黒人奴隷が独立運動をおこし1804年に独立が承認されました。1810年代にはスペイン領のクリオーリョを主体とする独立運動が各地に広まり、シモン=ボリバルはベネズエラの独立運動を指導し、大コロンビア・ボリビアなどを独立させ、サン=マルティンは、アルゼンチン・チリ・ペルーの独立を指導しました。メキシコでも、イダルゴの率いる独立運動が始まり彼は敗れましたが、運動は続き独立して1824年に共和国となりました。その後メキシコでは1840年代にテキサス地方が独立しアメリカがこれを併合したことからアメリカ・メキシコ戦争に発展し、メキシコは戦争に破れてカリフォルニアなどを失いました。その後1854年から行われた自由主義革命が成功しその指導者ファレスが正式にメキシコ大統領に就任しました。しか、自由主義者たちとそれに反対する勢力との間に争いが生じ、メキシコ内乱に発展して、この内乱にフランスのナポレオン3世は干渉しますが失敗に終わります。内乱はファレスの勝利に終わりましたが、その後1870年代後半にディアスの独裁政権が成立しました。ブラジルは、ポルトガル王子ペトロがポルトガルからの独立を宣言しブラジル帝国が成立し、1889年に共和国となります。
ラテンアメリカでの独立運動は支配者層内の本国の白人からの在住白人のクリオーリョ達の独立を意味していて、大土地所有など、社会構造には変化はありませんでした。
(4)現代史(アメリカなど対外勢力の動きを青で表記)
a.アメリカの進出
・カリブ海政策
・パン=アメリカ会議(1889)進出の始まり
・米西戦争(1898)
キューバの独立運動を支援
→米西戦争→キューバ保護国
・棍棒外交(セオドア=ローズヴェルト)
パナマの反乱→独立→パナマ運河開通(1914)
・戦間期:善隣外交(フランクリン=ルーズヴェルト)
・戦後
・米州機構(OAS):反共組織
・反米、社会主義政権への干渉19世紀になるとアメリカ合衆国はラテンアメリカへの影響力を強めるカリブ政策を取り、1889年にはパン=アメリカ会議を開催し、1898年に米西戦争でキューバをスペインから独立させた後保護国化します。セオドア=ローズベルトはコロンビアからパナマを独立させ運河地帯を租借しパナマ運河を建設して、彼の外交方針は「棍棒(こんぼう)外交」と呼ばれました。タフトは「ドル外交」展開しラテン諸国へ投資を勧め、世界大恐慌後に大統領となったフランクリン=ローズベルトはキューバを独立させるなど、これまでの支配から協調に外交方針を改め、この方針は「善隣外交」とよばれました。
第二次大戦後、中南米におけるアメリカの指導力は再び強まって、1948年には米州機構がつくられ社会主義に対する地域的安全保障体制が整えられ、社会主義政権や反米政権に軍事介入するなど干渉していきました。
b.キューバ
・キューバ革命
カストロ、ゲバラの反政府運動
→バティスタ親米政権打倒
・キューバ危機
カストロ、ソ連への接近
→ソ連のミサイル基地建設
→米ソ対立、核戦争の危機
→ソ連の譲歩
c.チリ
アジェンダ人民連合政権(1970)→軍事クーデター
→ピノチェト独裁(1973〜88)キューバでは腐敗していた親米のバティスタ政権が、カストロらのキューバ革命によって倒れ、その後、キューバは社会主義を宣言し、1962年には米国のケネディ大統領がキューバにソ連の中距離ミサイルの基地があるとして海上封鎖措置を取り、米ソ関係が極度に悪化しましたが、ソ連のフルシチョフ首相が譲歩して、ミサイル撤去をしてこのキューバ危機を脱しました。
チリでは1970年にはアジェンダ人民連合政権が成立し社会主義への平和的移行が勧められますが、1973年に軍事クーデターによって倒され、その後親米的なピノチェット独裁政権が88年まで続きます。
d.パナマ
ノリエガの独裁→米の侵攻で民政へ(1988)→運河返還(1999)
e.アルゼンチン
ペロンの独裁→軍事政権→ペロン復帰、死亡
→軍事クーデタ(1976)→フォ−クランド紛争(1982)
→民政へ
f.ニカラグア:
ソモサ独裁→革命(1979、サンディニスタ民族解放戦線)
→中道政権(1990)
g.メキシコ
ディアスの独裁(1876〜1911)
→メキシコ革命(1910〜17):マデロ、サパタパナマでは、1988年に最高実力者のノリエガ将軍の独裁に対し、アメリカはノリエガを麻薬密輸罪で起訴し、1989年末にパナマに軍事侵攻してノリエガを逮捕して民政に復帰させましたが、アメリカの米国の本当の狙いは2000年のパナマ運河返還の取り決めを改訂するためとみられています。パナマ運河は1999年12月に返還されました。
アルゼンチンでは戦後ペロン大統領が独裁制をしきましたがクーデタにより失脚、その後軍政、共和政を経て1973年に再びペロンが政権の座に返り咲きます。ペロン死亡後、婦人が大統領となりますが1976年にクーデターにより軍事政権が誕生し、1982年にフォークランドをめぐりイギリスと紛争(フォークランド紛争)がおこりり、敗北して民政に移行しました。
ニカラグアではソモサの独裁が続いていましたが、左翼ゲリラのサンディニスタ民族解放戦線が武装闘争をはじめ1979年の革命で政権を獲得し、その後反政府右翼ゲリラとの内戦になり1990年に中道政権が誕生した。
メキシコでは20世紀に入って、「土地と自由」をスローガンとしたサパタが指導した農民運動や1910年代初頭から自由主義者マデロらの武装蜂起でディアスの独裁政権が倒され、これをメキシコ革命といい、1917年には民主的な憲法が制定されました。その後はラテンアメリカで最も安定した民主主義国といわれるように経済・政治とも安定していましたが、石油危機以後経済成長率は低下しインフレが続き、その後の経済政策もふるわずに1994年には通貨危機に陥りました。